言葉の表現上の問題 > 曖昧性・冗長性 [科学技術論文の書き方]

科学技術論文の書き方
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言葉の表現上の問題




曖昧性・冗長性

複数の読み方における多義性

漢字を輸入して,それに複数の読み方を与えたことは日本語の表現力を豊かにした. 原音 (字音) に基づく呉音・漢音・唐音・宋音・唐宋音と慣用音によるいわゆる「音読み」, そして漢字一文字ごとにやまと言葉を対応させて意味の解釈をする「訓読み」である.

「訓ずる/訓じる」という言葉もあるように訓読みは固定的意味を持つはずであるが, 一対一対応とすることは叶わなかった. 送り仮名がある場合でも, 同一の文章で複数の読み方が可能な漢字表記があり,それは多義解釈の可能性を生む.

行った

「行う」はたぶん問題とはならず,「行った」において致命的となる可能性がある. 学術論文では頻出する語句であろう.
  • 行った:   おこなった v.s. いった
もちろん文脈で推定可能だとは思うが,クリチカルな場面もあるのではないだろうか.
  • ???   e.g. 彼は朔日,両親と行った
      → このままでは文脈でも推定不可能.
  • いった   e.g. 旅行に行った
      → 旅行した,旅行に出発した,etc.
  • おこなった e.g. アンケートを行った
      → アンケートを実施した,アンケートを行なった,etc.
「行な(う)」という送り仮名表記は,国語審議会でも許容している.
許容 次の語は,(  )の中に示すように,活用語尾の前の音節から送ることができる。
   ...[途中省略]... 行う(行なう) 
昭和47年6月28日,国語審議会からの答申による,翌48年6月18日の 内閣告示第1号より抜粋. 許容,ということは「奨励」ではないということに注意する必要がある. やはり,実施・実行・遂行などの二文字熟語の利用が読みなすくて良いかもしれない.

入れる

  • 入れる:   いれる v.s. はいれる
このような言葉の使用は避けたい. 代替できる言葉,というより「入れる」よりも適した言葉があろう.
  • いれる   e.g. 文字列を入れる
      → 挿入する,注入する,etc.
  • はいれる  e.g. グループに入れる
      → 入ることができる,etc.

開ける

  • 開ける:   あける (open) v.s. ひらける (開発) v.s. ひらける (可能)
これも「入れる」と同様である. 代替できる言葉がない場合,ひながな表記も視野に入れる (含める) と良いかもしれない.
  • あける   e.g. 小包を開ける,ビンのふたを開ける
      → 小包を開封した,ビンのふたをあけた,etc.
  • ひらける  e.g. 鉄道によってこの村も開けた
      → 鉄道によってこの村もひらけた,開発された,etc.
  • ひらけない (不可能) e.g. このファイルは開けない
      → このファイルは開くことができない,アクセスできない,etc.

曖昧な表現

程度表現,度量表現に曖昧な言葉を使わない.
  • × この A の測定誤差は非常に小さい.
    → ◯ この A の測定誤差は,1% 以内である.
  • × かなり良くなった.
    → ◯ 10% の改善が見られた.
あなたにとって小さくても,読者Aには大きいかも知れない.
あなたにとって大きくても,読者Aには小さいかも知れない.
あなたにとって近くても,読者Aには遠いかも知れない.
あなたにとって遠くても,読者Aには近いかも知れない.
  • × この半導体結晶の純度は非常に高い. (本当は99.99%)
      (学生実験で作った半導体なら上等かもしれないが, こんな結晶ではトランジスタはできない!!)
     → ◯ この半導体結晶の純度は99.99%である.
  • × 東京 - 博多間は,たったの5時間である.
      (5時間を長いと感じる人もいる.事実のみを正確に伝えよう)
     → ◯ JR新幹線のぞみ1号によれば,東京 - 博多間は4時間50分である.
  • × 地球 - 月間の距離は,40万km もある.
      (天文学を生業としている人には 40万km なんてリンゴの皮以下である.また距離という言葉が曖昧である.)
     → ○ 地球 - 月の平均中心間距離は約 384,400 km である.
     → ○ 月の平均公転半径は約 384,400 km である.

一文字単位の存在意義

助詞「に」

「1/4減少した」
この表現事体が間違っているわけでは無い. よくよく聞いてみると「1/4に減少した」と言いたかったのである. ウィンドウショッピングしているとよく目にする,
定価の一割!!
の後ろに「引き」と小さく書いてあるのに通じるものがある. このように文法的にはいくら正しくても,意味が異なっては問題外であり, 意味が正しくても,誤解を最小限にする工夫をしよう.

以下,助詞一文字で180゜意味が変わる例.

  • 1/4[に]減少した
  • 誤差が0.1%[に]増加した

頭痛が痛い表現

主語に使用している単語を修飾語・補語・述語などとして同時に使用すると極めてくどくなる.
  • × 今日の天気はいい天気です.
    → ○ 今日はいい天気です.
  • × 本手法は,...という手法である.
    → ○ 本手法は,...という概念で構成されている.
    → ○ 本手法は,...である.

頭痛がちょっとする表現

酷くはないが、ちょっと頭痛がする表現。
  • × 不純物含有率の測定方法は,◯◯法を使用する.
      → ◯ 不純物含有率の測定では◯◯法を使用する.

断定・推定・etc.

 きみのその文は本当に正しいか? 断定していいのか?

  • ~は~である.(本当に言い切って良いのか)
    e.g. PowerPC は Pentium より高速である.(この命題は偽である)
    e.g. Pentium III は PowerPC G4 より高速である.(この命題も偽である)
  • 必ずしも A は B であるとは限らない.
    e.g. 必ずしも Pentium は PowerPC より高速であるとは限らない.(この命題は真)
  • 少なくとも A は B である.
    e.g. 少なくとも,AAA のベンチマークに基づくと,XXX MHz の PowerPC (2次キャッシュ1MB)は YYY MHz の Pentium (同・1MB)よりも高速である.(これでもチト不安)

冗長な強調表現と例外表現

  • (1) (?) A は必ず B である.
  • (2) (?) A は B である.
この二つの文を読んで読者はどう感じるだろうか? ある文書で,(1) のような表現がありその後に (2) のような表現に出会った場合に (2) は「必ず」ではないのかも知れないな,という「印象」を持ってしまう.
は虫類は例外なく必ず卵生であり孵化後の幼生は例外なく必ず成体とは独立に栄養を摂取する.一方,哺乳類は胎生であり雌親が哺乳する.
論文に行間は不要と主張しているが,読んでいる読者が行間を「感じて」しまうのである. 読み手の感性のインフレともいうものであろう. 自然科学では,「A は Bである」と一度言ったら例外は無いのである.

もし例外の余地が僅かでもあるのであれば,

  • (3) ○ (必ずしも) A は B であるとは限らない.
  • (4) ○ 一般に A は B である.
  • (5) ○ A は B である可能性がある.
  • (6) ○ A は B でない可能性がある.
という表現を使用すべきであり,例外の余地が全く無いのであれば,
  • (2) ○ A は B である.
と言い切れば必要十分である.本来なら,直前の拙文,「もし例外の余地が[僅かでも]あるのであれば,」「例外の余地が[全く]無いのであれば,」も冗長表現であるが本文では分かりやすさを優先した.

ここで出てきた副詞「必ず」の冗長用法と類似した表現を以下に示す.

  • 大学教授は必ず眼鏡を掛けている. vs 大学教授は眼鏡を掛けている.
  • 電池の電圧は必ず 1.5V である. vs 電池の電圧は 1.5V である.
  • この方程式は必ず解をふたつ持つ. vs この方程式は解をふたつ持つ.
なお,ここの節の趣旨としては,「必ず」という表現を絶対に使用してはいけない, と言っているのではない. 「必ず」という単語を取り去ってみて,意味として間違っていなければ取るべきである,と言っているのである. しかし,筆者は「必ず」が必須な例文をなかなか思いつかない.

使ってはいけない表現

文末の表現には注意すべきである. 断定・推定・憶測・主観・客観というキーワードを念頭に置いて考えよう. もちろん,憶測表現と主観表現は使用禁止である. 推定と憶測は,前者が根拠を伴っているのに対し,後者には根拠が無い.
  • × ・・・と感じる.
     [あなたの第六感はどうでもよい.]
  • × ・・・と思われる.
     [あなたの主観以外の何ものでもない.]
  • × ・・・と想像する.
     [あなたの主観以外の何ものでもない.]
  • × ・・・と考える.
     [「考える」は下一段活用動詞終止形である.日本語の終止形では実現性の保証を表現しないので事実の表現という論文に照らせば意味が無い.あなたがどう考えたか,どう考えるかは読者に意味ある情報をもたらさない.]
  • △ ・・・と考えられる.
     [「考えられる」は下一段活用動詞未然形+可能助動詞である.この形は「考えることが可能である」と書き換えでき,意味的破綻がない.根拠を持ってこの構文を使用することは読者に意味のある情報を提供する.ただし,「・・・である」と言い切って意味が通ればそうすべきである.]
        
    • 例) × 二次方程式の解は複素数の範囲で2個あると考えられる.
      → ○ 二次方程式の解は複素数の範囲で2個ある.
  • × ・・・ではないだろうか.
    × ・・・ではないか.
     [読者に同意を求める必要は無い.責任放棄である.]
  • × ・・・α =1 として実験してみた.
     → ◯ ・・・α =1 として実験した.
     「してみた」「みた」という表現はしばしば論文でも見られるが,非常に危険な表現である. 「してみた」には「他の方法もあるが根拠も無く,根拠は無いが取り敢えずそのようにした」というニュアンスが込められており,責任放棄ととられても文句は言えない.「した」と断定表現して何が悪いのだろうか.

思う・想像する,は主観の表現であり,根拠が伴った表現で使用しても客観の表現になりえず,文法的矛盾が生じる.

  • × A=B,B=C であるので A=Cであると思う.
    → ○ A=B,B=C であるので A=Cである.
「考えられる」は根拠が伴った適切な表現で使用すれば「推定される」と意味が近くなり,客観の表現になりうる. しかし,「推定される」と表現して間違いが無ければそちらを使用すること.
  • × この患者のインフルエンザウィルスは A 型であると判定され,かつ香港型でもソ連型でもないことから H1N1 型 (ブタインフルエンザ) である.
  • ◯ この患者のインフルエンザウィルスは A 型であると判定され,かつ香港型でもソ連型でもないことから H1N1 型 (ブタインフルエンザ) であると推定される.
      (A 型はこの三種類のみであるということが証明されて初めて背理法が成り立つので推定の域を出ない)
断定はできなくても,意味のある表現というものは存在する.
  • × 太平洋に落とした指輪は発見できない.
  • × 太平洋に落とした指輪は決して発見できない.
      (0.000000001%でも可能性があれば100%ではない.)
  • ◯ 太平洋に落とした指輪は発見することが極めて困難である.   (極めて困難,という事実は100%信頼できる.ただし,学術論文である以上,どの程度の困難さを伴うのかを定量的に示すことが望ましい.)
生活する上では「事実上,断定しても良いこと」であっても学術論文では断定してはならない. 真は真,偽は偽と言い切ることは学術論文として極めて重要である. 僅かでも可能性のあることを否定したりすることは,論文の演繹性を損なうからである.
  • × 哺乳類は胎生である.
  • → ◯ 哺乳類の大多数は胎生である.
  • × 魚類は水中で産卵する.
  • → ◯ 魚類の大多数は水中で産卵する.
太平洋に指輪を落としても,例えばその指輪に超小型ビーコンを埋め込むことができる時代はすぐそこまで来ている. 今は不可能ではないか,というのは理由にならない. 学術論文は時間と空間を超えた人類の財産であることを忘れてはならない.

憶測~断定の程度のまとめ

感じる < 思う・想像する <<<< 考えられる < 推定される < である

先入観無しに読んだときにどう感じるだろうか?

  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムであると感じる.
  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムであると思う.
  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムであると想像する.
  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムであると考えられる.
  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムであると推定される.
  • 以上の反応試験の結果,この合金の主成分はアルミニウムである.

一見良さそうだが...

否定の限定・限定の否定

問題:
  • ここにある半導体は全てアモルファスではない.
  • ここにある半導体は全てがアモルファスではない.
  • ここにある半導体の全てはアモルファスではない.
  • ここにある全ての半導体はアモルファスではない.
  • ここにある全ての半導体がアモルファスということではない.
さて,それぞれいかなる意味であろうか? このような表現は学術論文に相応しいだろうか?

ヒント: 多義性の排除.

つい使ってしまう主観表現

あまり本人も気付いていないのだろうが,著者自身も含めてつい使ってしまう主観表現がある. 気をつけたい.
  • × しまう.(e.g. …してしまった.…してしまう.…されてしまった.etc.)
      (その行動…が予想外、希望外であることを暗に表現している。)
      → ◯ する.(e.g. …した.…する.…された.etc. のように事実として記述すること)
  • × も (棄却率が…%もある.該当者が…人もいた.etc.)
      (その数値…が予想外、希望外であることを暗に表現している.)
      → ◯ (棄却率が…%である.該当者が…人であった.etc. のように事実として記述すること)
  • × たったの (e.g. この町の人口はたったの2,000人である.)
      → ◯ (e.g. この町の人口は2,000人である.)
  • × 

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